金糞岳 Final Attack 〜そして伝説へ〜


■本図は (財)日本地図センター発行の25000段彩・陰影画像を元に作成した。(同センター承認済)
■この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第82号)
※25000段彩・陰影画像は数値地図25000を元に作成されており、本図はその二次利用のため両文併記。


金糞岳(5)/2005.11.22-23


Mにあっさりと説き伏せられて、4度目の挑戦(中津尾根コースを除く)をすることとなった金糞岳・東俣谷川コース。しかし先に鈴鹿スペシャルの年内完遂を目指していた我々はそちらにずいぶん時間をとられ、ようやく金糞岳にやってきたのは、もうすっかり風も冷たい秋の暮れでした。

長浜に結集した我々は、少しでも歩行距離を短くするべく、ゴールの鳥越登山口にしじみの車、スタートの追分ダムサイトにMの車を置くという「車2台作戦」をとることにし、各々の車を転がして、まずは鳥越林道に入ろうとしました。

ところがドッカン。なんと鳥越林道入口が、「落石のため通行止」の看板とともにガッチリ封鎖されていました。これにより作戦はいきなり破綻、しじみの車はまったく無用の長物となり果てて林道入口に放置されることになり、歩行距離は予定の約1.7倍に伸びてしまいました。

「厳しいことになったなあ・・」と弱気になるしじみに対し、もともと「車2台作戦など軟派すぎる」と主張していたMはニンマリ。「これでこそ本当の完全踏破じゃないか」とかえってやる気マンマンです。まあしじみとしても、ここまで来て何もせずに引き返すのもシャクなので、結局計画続行となりました。

Mの車で追分ダムサイトにたどり着き、そこにテントを張りました。そう、今回は登山口でテント泊をし、日の出とともに出発して、日照時間の全てをつぎ込んで日帰り完全踏破を目指す計画なのです。


メーカー不明、大学生協で買った安物テント。


ダムサイトはこんな風景。正面の谷が東俣谷川(深谷)。
奥にうっすら見えるのが白倉岳の尾根です。あのへんまで行くのか・・。

日が暮れる前に夕食作り。Mがもってきた「山岳グルメ」なるカレールーセットと、アルファ化米のマジックライスをあわせてカレーライスの完成です。山岳グルメもマジックライスも、少ない水で手早く作れる縦走仕様の登山用食品で、こんなオートキャンプな状況で使うのはもったいない気もするのですが・・。


食い散らかした写真でごめんなさい( ^-^;)

山岳グルメカレーは乾燥食品とは思えないうまさでしたが、具にタカノツメ(トウガラシ)が丸ごと入っていて、知らずに食べて2人とも火を噴きました。あまりの辛さに体中から汗がダラダラ流れ、後でテント内が激しく結露する一因となりました。
注意書きも無しにこんな劇物を入れるなー!と怒って商品の袋をよく見たら、しっかり書いてありました。「<ご注意>タカノツメは、辛口がお好みの場合のみお入れください」・・失礼しました_| ̄|○

食後は酒盛りとゲームに興じます。今回は車で物資を運び放題ですから、カセットコンロやら将棋盤やら持ち込みまくり。「オートキャンプは軟派の極み」とか言っていたのはどの口だ。

 

なお、ヘボ将棋王決定戦は、ひたすら自陣を固めることに専念したしじみが、固めすぎて王将を動けなくしてしまい、Mの打ち駒にあえなく詰まれて終わりました。人生を暗示するような一局でした。

そして就寝。将棋盤とか持ち込んでるくせに、寒さを甘くみて防寒具をあまりもってこなかった大バカな我々は、夜半からの急な冷え込みによって、震えながら眠るハメになりました。3人用のムダに広いテントが気温の低下に追い討ちをかけます。寝ては寒さで目を覚まし・・をくり返しているうちに、ようやく朝になりました。

朝食はしじみ流ホットケーキ。しかしこれがまたしじみ史上最悪の料理といえる失敗作でした(>_<)

ハチミツを山ほどかけて味をごまかし、何とかお腹に詰め込みました。
皆さんが朝食ホットケーキをやる時には、全て上記の逆をやればおいしく食べられると思います( ^-^;)

テントを撤収し、いよいよ登山開始です!運良く天気は快晴。早朝の東俣谷川を遡っていきます。

季節は11月下旬、夏に比べて日が短いのが難点ですが、いざ登ってみると、この季節ならではのメリットもいくつかありました。

道中のジャングルぶりは、過去の登山録でさんざん書いたので今回は省略( ^-^;)写真を少しだけ紹介します。


だいたい全般的にこんなかんじのヤブです。これは道の脇の
小滝を撮ったわけではなく、この滝がこれから進む道なのです。


ようやく頂上尾根が見えてきました。右隅でMが草木と同化しています。

道のひどさは相変わらずですが、今回はMの驚異的な記憶力のおかげで、1・2回目の登山でさんざん泣かされた支流への迷い込みが一度もなく、着実に距離を詰めることができました。また、この日はGPS電波も比較的よく入り、安心して進めました。

数々の思い出の場所を越え、敗北地点を越えて、我々は一歩一歩頂上尾根に近づいていきました。そして、スタートから約6時間半経過した頃、ついに・・我々はついに、金糞岳頂上尾根に立ったのでした!!

勝利の花道・頂上尾根を踏みしめて、金糞岳山頂へ。中津尾根コースから来たのであろうハイカーたちが、異様にくたびれた風体の我々を不思議そうに見ていました。


金糞岳頂上にて。
意外に泥汚れが少ないのは、コース終盤の沢登りで洗い流されたからです。

コース踏破は成し遂げましたが、家に帰るまでが遠足です。頂上で昼食をとった後、再び追分ダムサイトに戻るべく中津尾根コースを進軍開始。疲労困憊していたしじみは、途中の小ピーク「小朝の頭」にも登る気力が無く(Mは登りたがったが・・)、鳥越林道に下りて華麗にスルー。後でまた中津尾根コースに復帰し、午後3時半、登山開始から実に9時間後に、スタートの追分ダムサイトに戻り着きました。

鈴鹿スペシャルと並んで積年の課題であった東俣谷川コース踏破をやり遂げ、これをもって我々の2005年目標は全て達成です。「これでオレ達も中級ハイカー昇格だな」とかなんとか言いあって、2人とも得意満面。意気揚々とMの車に荷物を積み込み、これでもう追分登山口とも永遠にオサラバさ・・という感慨にひたっていたその時でした。何気なく自分の手の甲を見たしじみは、そこにうごめく黒いものを見つけて絶叫しました。

ダ ニ だ ー ! 

吸血生物がものすごく苦手なしじみはすっかり右往左往。ツツガムシ病とかうつされたらどうしよう(※1)という恐怖もあって、もうパニックです。ぎゃあぎゃあ言いながら毛抜きで慎重に除去しました。ダニというやつは頭部の口吻で皮膚にガッチリ食らいつき、下手に引きはがすと胴体だけちぎれ、頭部は咬みついたまま皮膚の中に残るというムダにガッツあふれる生き物だと聞いています。そうならないようドキドキの除去でした。真っ青になったしじみにつられて、Mまでもあわてて体中をチェックしていました。

・・なぜ東俣谷川のあの激ヤブに4度も突っ込んで一度もダニ被害にあわなかったのに、今頃になって追分くんだりでダニ??奇妙でなりません。これは中級とか言っておごっている我々に、金糞岳が下した天罰なのかもしれません。超人が跳梁跋扈し、不心得なハイカーにはダニをばらまく金糞岳。山とはやはり不可思議なものである、と我々は最後の最後に痛感し、中級などと言わずに万年初級を心がけることを誓ったのでした。

家に帰ってから、ボロボロに疲れた体にもかかわらず、しじみは恐怖にかられてネットでダニの媒介病について調べまくりました。その成果が以下↓です。とりあえず一安心・・( ^-^;)



※1

後で調べてみると、この時しじみが吸血されたダニはマダニの一種(多分ヤマトマダニ)で、ツツガムシ病を媒介するツツガムシではありませんでした(ツツガムシは1mm以下で、肉眼ではほとんど分からないそうです。しじみに付いたダニは3〜4mmで、ツツガムシとは全然違いました。無知で失礼しました・・)。マダニ類のうち、シュルツェマダニというダニはライム病を媒介することがあるのですが、このダニは中部以北にしか生息しないそうなので、西日本の山なら心配なさそうです。

ツツガムシに関しては、北海道と沖縄を除く日本全国に生息するので、西日本といえども安心はできません。特に九州に多いようです(病原体保有種が多い?)。

もっとも、ライム病にしてもツツガムシ病にしても、ハイカー全体の数からすれば発生件数はごく少ないです。これは病原体保有種がそもそも少ない上に、ダニはヤマビルほどのスピードも吸着力も執念深さもないので、軍手とスパッツを着用して肌の露出をなくし、首に虫よけを塗っておけばまず吸血されることはないからでしょう。だいたいそんな被害が多発するようなら、誰も登山なんてしなくなるはずだし・・。

ただもし、登山後に皮膚が赤く腫れたり、原因不明の高熱を発したりした場合は、これらの感染症を疑って、病院でみてもらった方がいいでしょう。以上心配性のしじみより( ^-^;)

<参考サイト>
 ツツガムシ病(国立感染症研究所)  ライム病(静岡県立大学薬学部)

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