【鈴北岳・藤原岳】 滋賀県東近江市(三重県境)


本図は(財)日本地図センター発行の25000段彩・陰影画像を元に作成した。(同センター承認済)
■この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第82号)
※25000段彩・陰影画像は数値地図25000を元に作成されており、本図はその二次利用のため両文併記。

★登山お役立ちデータ集★
標高/眺望/ヤマビル/天気/地図/交通/タクシー/トイレ/観光/温泉


鈴北岳・藤原岳/2005.10.30 
 

足かけ2年に渡って続けてきた鈴鹿スペシャルも、いよいよ大詰め。最終コースに立ちはだかるのは、鈴鹿縦走路屈指の障壁・藤原岳です。

藤原岳は、東側(三重県側)には整備された短めのルートがあり、手軽に登れる1000m級の山として高い人気があります。
しかし我々滋賀県民からみれば、釈迦ヶ岳と並んで最高にアクセスが悪い、まさに難攻不落の砦。 北は延々長い尾根道、南は比較的短いものの、道が不明瞭な上に、途中から高低差300mの急斜面激登り・・と、どうやって手をつけたらよいのか考え込んでしまう山です。そんなわけで何となく先送りにしてきたあげくに、結局この山がスペシャルの最後に残ってしまったのでした( ^-^;)

最後となれば、もはや避けることはできません。それに、モタモタしていると冬になって、今年(2005年)中に鈴鹿スペシャルを終われなくなってしまいます。10月末、ラストチャンスの好天をつかんだしじみとMは、ついに意を決してこの最終コースにとりかかりました。

まずは前日のうちに、ゴールの茨川廃村に車を配備。この茨川廃村は国道421号から林道を延々30分ぐらいかけて進んだ山奥にあるのですが、そんな僻地にもかかわらず、いつ行っても治山だかなんだかの工事をひっきりなしにやっています。正直言って何のための工事かさっぱり分かりません。狭い林道で工事車両と対向すると、ひたすらバックして道を空けなければならないのでたいへんです。

この日は土曜日だったので、工事もお休みだろう・・と思ってMの車と2台で林道に入ったのですが、ところがどっこい、ばかでかいダンプカーが向こうからやってくるではありませんか!

ペーパードライバーしじみは半泣きになりながら長い道のりをひたすらバック走行し(Mは華麗な走行でさっさと待避した)、やっとのことでダンプとすれ違ったと思ったら運ちゃんに「何やっとんじゃヘタクソ」みたいな罵声を浴びせられ、あんたらの工事こそ何やっとんじゃ、という反論を思い浮かべつつも小心者なので言えるはずもなく、ただ首をすくめるばかり。何とも冷や汗びっしょりの事件でした。

それで終わりかと思ったら、この後2回もダンプと対向し、半泣きでバックし、この日は山に登ったわけでもないのに心底疲れ果てました。しじみと同じくペーパーを自認する人は、ここは日曜だけ行くようにしてください( ^-^;)

さて、気をとりなおして登山の話。翌日は快晴にめぐまれ、早朝の鞍掛トンネル駐車場から意気揚々と出発です。ほどなく鞍掛峠に至り、いよいよ長い長い尾根歩きがスタートしました。

鞍掛峠〜鈴北岳間は、かつてはすごいヤブ道だったそうですが、今では整備されて歩きよい道です。樹林帯を抜けると視界がひらけてきて、目指す鈴北岳や、その隣りの鈴ヶ岳の山並みを一望できます。


鈴北岳・山頂へ続く道(FF3風)

快適な尾根歩きを経て、鈴北岳山頂へ。ここは広々とした台地で、晴れた日にはとても気持ちのいいところです。ここから県境尾根をたどれれば最も縦走チック(?)なのですが、その方面はヤブヤブだったため断念し、台地を堪能するメジャールートを楽しむことにしました。


鈴北岳山頂台地。牧場のように広いです。

鈴鹿名物の「ドリーネ(窪地)」が点在する広い台地を横断し、「真ノ谷」に通じる谷道に入ります。この谷道は誘導テープも少なく不安でしたが、ひたすら谷沿いに進むと道標等がポツポツ現れ、ほっとしました。
なお、この谷道は南への分岐が2つあり、どちらをとっても30分程度で鈴鹿の最高峰・御池岳1247mに至るらしいのですが、縦走のために時間が惜しい我々は華麗にスルーしました。いつかまた行ってみねば・・。

2つ目の分岐を過ぎた直後のこと。国土地理院地形図とGPSの示す現在位置を照合すると、このあたりに尾根に登る道があるはずなのですが、どうもそれらしいものがありません(ちなみに「山と高原地図」2005年版も同様に描かれています)。このまま谷道を進んで真ノ谷に入ってしまうことを恐れた我々は、無理やり尾根に登ることにしました。

急斜面をヒイハアいいながら登って尾根に出たのですが、地図と違って東に向かう道はなく(ヤブで進行不能)、逆に西に向かうわずかな踏み跡があるのみでした。少し西に戻れば東への分岐があるのかも・・と尾根を逆走したりもしましたが、それらしいものはなく、残念ながらまったくの骨折り損となってしまいました。

結局元の谷道に戻り、少し行くと真ノ谷と縦走路方面との分岐に出ました。つまりこの一帯は地図と実際のルートがズレており、地図を真面目に読む人ほど間違えてしまう厄介な地帯だったのです。特に登山道に関しては、あんまり地図を盲信するのも考えものだな・・と痛感しました。御池岳をスルーして稼いだ時間は、この道迷いであっさり帳消しになりました。何をやってるんだか・・。

コグルミ谷分岐を通過し、さらに縦走路を進みます。木々に囲まれて眺望はありませんが、歩きやすい尾根道です。やがて、本コースのほぼ中間地点にあたる、白瀬峠にたどりつきました。

ここでちょっと真面目な話。
この白瀬峠は別名「白船峠」とも言うらしく、資料によって表記が分かれています。おかげで下調べの時に少々混乱しました。山岳地域にはこのように二つ名をもつ峠、山、谷などがしばしばみられますが、ややこしいから一つに統一してくれ〜!と常々思います。下手をすると同一箇所なのに別々の場所と勘違いして、読図間違いの原因になりかねません。統一できないのなら、せめて両名表記を徹底するべきでしょう。(その点「山と高原地図」はしっかりしていて、二つ名をもつ地点はちゃんと両名表記しているところがエラいです)・・皆さんはどう思いますか?


峠にあった道標。これもきちんと両名表記していてエラいと思います。
下の百人一首パロディーはイマイチなんだけどさ

あと余談ですが、「しらふね峠」を漢字変換すると「素面ね峠」になってちょっとウケました。

峠を越えてしばらく進むと、尾根上に送電線の鉄塔が2カ所あります。いずれも周囲がひらけていて、東には三重の市街、西にはどっしりとした御池岳台地が望めます。

そして、まだまだ続く快適な尾根歩き。次は少しだけ縦走路を離れて、露出した奇岩群が面白い小ピーク「天狗岩」に寄りました。天狗岩は展望もよく、隠れた名峰でした(写真を撮り忘れといて言うのもなんですが ・・^-^;)。ここで昼食にしたかったのですが、すでに多くのハイカーがたむろしていたのであきらめ、先へ進みました。

天狗岩の東稜線も、ひたすら眺めが良く、高低差のほとんどない爽快な道です。このルートを手軽に楽しむことができる三重県の人々がうらやましい限りです。
道脇にちょっとした広場を見つけたので、ここで昼食をとることにしました。

 
(左)男の食卓?の風景。広いからって散らかしすぎです。
(右)ザーサイとうずら卵をトッピングした豪華春雨スープ。

この日はMが食料当番で、インスタントの春雨スープを2つ持ってきてくれました。「担々麺風スープ」と「海鮮スープ」があるけどどっちがいい?と聞かれて、しじみは担々麺を選びました。肌寒い晩秋ともなれば、辛い物の方がおいしいからです。Mは「そうか」と言って、残った海鮮スープをとりました。

しじみはまったく気づかなかったのですが、実はこの時Mも担々麺の方をものすごく食べたかったそうです。でも自分でもってきたものを選り好みするのは男らしくない、と鉄の自制心でしじみに担々麺スープをゆずったのです。
それが発覚したのは、なんと3ヵ月もたった後の、全然別の登山の昼食時のこと。彼は突然、「オレさあ、実はあの時、担々麺の方を食いたかったんだ・・」と何か重大なカミングアウトのように語り出して、やおら荷物から件の担々麺春雨スープを取り出したかと思うと、お湯でふやかすのもそこそこに猛然と食べ始めたのです。そんなに食べたかったなんて、まさか3ヵ月も引きずることになるなんて、空気読めなくてごめんよM・・( ^-^;)

再び時を戻して、天狗岩東稜線。昼食を終え、さらに南下するとほどなく藤原山荘に着きました。かつては山小屋として営業していたというこの建物、今は無人小屋になっていますが、なかなか堅牢な感じの施設です。これで水場があれば最高なんですが・・そこまで求めるのはゼイタクですね。


藤原山荘。ここでデジカメの電池がお陀仏となり、以降は写真無しです・・。

そして、いよいよ藤原岳へ。疲れた足にムチ打って、最後の急登です。笹ヤブを抜け、岩場を越えると、360度の展望が広がりました。スタートからおよそ6時間、我々はついに鈴鹿スペシャルのラスボス、藤原岳を制したのです。山頂には我々の他に1組のカップルがいて、何だかやたらイチャイチャしていましたが、登頂の感動に包まれている我々には微塵も気になりませんでした。(じゃあ書くなよ ^-^;)

ここまで来たら後は下るだけ・・と思いきや、ここから先の藤原岳南尾根というのが、聞きしにまさる劣悪な道でした。ラスボスを倒したら真のラスボスが出てきたみたいな、ゲームにありがちな展開です。
この区間は地理的に三重人も滋賀人も通る必要がないため、昔から歩く人が少なかったのでしょう。わずかな踏み跡とGPSを頼りに、急斜面を慎重に下ります。ロッククライミングまがいのアクションが必要な崩落地も何カ所かあり、短い区間ながら、降りるのにたっぷり1時間はかかりました。真のラスボスは手強かった・・。

尾根が西に折れる頃になると、道は多少マシになります。蛇谷分岐を経て、縦走路がほぼ直角に折れる場所に出ました。ここは小ピークで、「迷い尾根」と書いた大きな道標があります。なぜそんな名前なのかは、地形を見るとたちどころに分かりました。きっとこの場所はかつて、直角分岐に気づかずに直進し、西尾根に迷い込む人があとをたたなかったのでしょう。今は前述の道標があるおかげで、迷う心配はなくなっています。「迷い尾根」を迷わない尾根にするというパラドックス(?)に挑んだ道標製作者の偉業に拍手を贈りたいです。

さあ、ついに鈴鹿スペシャル達成地点、治田峠が近づいてきました。残り300mを切った頃、どちらの口からともなく「サライ」のメロディーが流れ出しました。2人とも、24時間テレビのマラソンランナーになりきりです。「♪さくらーふぶーきのぉ〜サライ〜のそらへ〜」・・調子はずれな歌声をあげ、沿道を埋め尽くす観客(もちろん幻影)に手を振り、割れんばかりの歓声を浴びて(幻聴)、我々は栄光のゴールをしっかりと踏みしめました。

岩を這いヤブをかき分け、さんざん道に迷い、無数のヒルと戦った鈴鹿スペシャル。苦労と快適を天秤にかければ、苦労にズドーンと傾くようなとんでもない登山ばっかりでしたが、今はそうした苦しい記憶さえ、全て懐かしく楽しいものに思えました。たくさんの思い出とネタを提供してくれた一大企画は、こうして(2人だけの)大盛り上がりの中、静かに幕を下ろしました。

茨川廃村への道を下る間、しじみとMは口を開けば涙が出そうで、ほとんど言葉をかわしませんでした。しかしきっと2人とも、こみあげる思いは同じだったことでしょう。

「ありがとう鈴鹿の山々よ、孤独なオタク2人と遊んでくれて・・。」


===鈴鹿スペシャル 2004-2005 END===

【おまけ】

ここまで読んでくださって、誠にありがとうございました!
最後に、鈴鹿スペシャルの累計スコアを掲載します。
肝心の踏破距離合計は、計算が面倒なのであきらめました( ^-^;)

<鈴鹿スペシャル 主なスコア>
要した日数:19日(登山15、前日配車3、リタイア1)
登頂ピーク:約32峰(著名なもののみカウント)
道迷い率:40%(15回中6回)

よ、よ、40%・・_| ̄|○ ヨクシナナカッタモンダ…


鈴鹿スペシャルのトップページに戻る



週刊やましじみ:登山よもやま話のサイト  TOP近畿の山>鈴北岳・藤原岳